タバスコソースが生まれた話【VOICEROID動画】
Origin of Tabasco sauce
タバスコが生まれた由来を知ったので、解説動画にしてみました。
戦後、略奪された後の邸宅に残っていた物を合わせて、なんとか作った物だったんですね・・・。
ウクライナ戦争関連のニュースを見ていると、ほんと辛い気持ちにしかならないですね
タバスコソース誕生
1860年頃のアメリカ
エドモンド・マキルヘニー(Edmund McIlhenny)はこの頃、ルイジアナ州ニューオーリンズで銀行を設立、岩塩坑が有名なルイジアナ州にあるエイブリー島の所有者の娘、メアリー・エイブリーと結婚、誰が見ても勝ち組だなって思う人生を送っていました
1861年、南北戦争勃発。
北軍が夫妻の住んでいたニューオーリンズへ侵入すると、エドモンドは財産を捨て、妻メアリーの実家であるエイブリー島へ避難することを余儀なくされました
1863年、北軍によってエイブリー島占領
避難先のエイブリー島は岩塩坑として有名であり、特産品は当然ながら「塩」。
塩は、軍用肉保存などの用途で需要は多く、そんな資源のある場所が、戦時中に放っておかれるわけはありませんでした。
エドモンド達はルイジアナ州を離れ、テキサス州へと逃れる事になりました。
1865年、南北戦争終結
戦争が終わり、エドモンド達がエイブリー島に帰ると、プランテーションは荒れ果て、邸宅はほとんどの物を略奪され、残っていたのはトウガラシくらいだったそうです。
しかしエドモンド・マキルヘニーは「この残ったトウガラシをなんとか収入に結びつけることは出来ないか?」そう考え実行に移したのです。
みじん切りにしたトウガラシ、エイブリー島に沢山存在する塩、そしてお酢、これらの材料を混ぜ合わせ、木の樽で数日寝かせ、サイフォンで液を吸い出し、オーデコロンの空き瓶に詰め、エドモンドは辛いソース「タバスコソース」を完成させました。
ちなみにタバスコソースって、原材料は本当にトウガラシ、お酢、塩の3つだけで、1868年に販売されてから現在まで、154年にも渡って(2022年現在)レシピが一切変わっていないんだそうです。
1868年、タバスコソースの販売を開始
当時のお値段は1本1ドル、これは現在の価値だと1本2000円くらいの強気な値段設定だったみたいですが、タバスコソースは順調に売上を伸ばし、今では定番の調味料のひとつになりました。
そういえばタバスコソースの名前の由来なのですが、メキシコの地名から取られている、ということは知られているものの、意外にも「エドモンドがなぜその名前に決めたのか」についてははっきりしていません。
・トウガラシがメキシコのタバスコ州から持ち込まれたものだったからその名前を付けた
・産地である「タバスコ」っていう呼び方の響きをエドモンドが気に入ったから
・本当は違う名前を付けたかったけど、反対されたから無難にタバスコソースっていう名前にした
などという説が存在しており、トウガラシの産地が由来なのは間違いないようですが。
そして、この辺りの話がはっきりしていないのは、エドモンド自身はタバスコソースというものの発明を注目に値する成果だと思っていなかったことが原因にあるみたいで、エドモンドは亡くなる前に自伝を残しているのですが、その中でもタバスコソースについては特に触れていません。
実は、タバスコソースは発売当時から好調に売れてはいましたが、世界的なヒット商品にのし上げたのはエドモンドの子供たちなんですよね
エドモンドの子供たち(John Avery McIlhenny、Edward Avery McIlhenny)は事業を受け継いだ後、取り扱う商品の洗い直しをする中でタバスコを主力にし、生産の拡大・近代化・ロゴやボトル形状の見直し、ラジオでの広告などを使い、世界的な宣伝を試みました。
それらの戦略が実を結んだことで、タバスコソースは世界的に広まることになったんですね。
エドモンドがタバスコソースを数ある商品の内のひとつとしてしか思っていなかったのだとしたら、タバスコ発売当時1歳だった(長男のジョン)幼い子供たちにわざわざ話をしないのは当然かもしれません。
エドモンドの残した物の中からタバスコソースの可能性に気づいて主力に押し出したが、名前の由来なんかは残っていなかった。
そんな理由で、エドモンドが「タバスコソース」という名前にした決定打がはっきりしていないのかもしれませんね。
ちなみに「タバスコ」は一般名称ではなく、マキルヘニー・カンパニーの登録商標なんで、他の会社が作る時は「レッドペッパーソース」になるんですね
余談
日本にタバスコソースが持ち込まれたのは戦後、1945年くらいだそうです。
初期はマイナーもマイナーだったようですが、流行したのはそれから大分経った1970年代。
元プロレスラー・アントニオ猪木さんが経営していたアントン・トレーディングという貿易会社がタバスコソースを大々的に宣伝することで知名度を得ました。
そしてその後、激辛ブームや宅配ピザが流行したことで需要が大幅に増えたんだそうです。
まぁただ、猪木さんはタバスコの需要が増える前に会社は手放してしまったようで、タバスコソースによる利益はほとんど得られなかったそうですけどね。
というところまでが今回のお話でした。
ちなみにですが、わたしはタバスコ・スコーピオンソースを使ったペペロンチーノがお気に入りです。